未就学児〜低学年で、勉強より先に家庭で育てたかった力|子育てで大切にしてきたこと
今回は少し、わが家の教育方針について書いてみようと思います。
未就学児〜低学年の時期に、勉強より先に家庭で育てたかった力と、子育てで大切にしてきたことを、実体験をもとにまとめます。
わが家は、姉妹そろって幼稚園の先生や習い事の先生などに、

どうしてこんなにいい子に育つんですか?
と言っていただくことがよくありました。

全然そんなことないのに!と思いつつも、プロの先生たちにほめていただけるのは、やっぱりうれしいですよね。
それをきっかけに、わが家で大切にしてきたことをあらためて振り返ってみたのですが、
未就学児〜低学年(園児〜小学校2年生くらいまで)で本当に大切だったのは、
先取り学習よりも、わが子に合う関わり方を見つけることでした。
子どもを育てていく中で、勉強を早く進めることや、特別な教材を使うことより先に、
家庭の中で大切にしたいことがあると、ずっと感じてきました。
娘たちは小学校受験も経験しましたが、お受験対策を行う中でも、この「わが子との関わり方」の大切さに気付かされました。
この子は何が好きなのか。どんなときに目が輝くのか。何が負担になりやすいのか。
赤ちゃんの頃から、そんなことを見ながら、ことば、本、体験、習慣、刺激などの選び方を少しずつ娘に合う形に変えていきました。
もちろん、最初から何か結果を求めていたわけではありません。
赤ちゃんの時には小学校受験をするなんて、一欠片も思っていませんでした。
ただ、あとから振り返ると、小さいころから意識してきたことの積み重ねが、少しずつ今の娘たちにつながっていたのかもしれません。
たとえば長女は、4歳ごろには児童書を読むようになり、園や小学校受験の場でも、語彙力や話す力、話を聞く姿勢、自分の言葉で答える力を好意的に見ていただくことがありました。
そうした積み重ねの先に、第一志望の小学校とのご縁もいただけたのだと思っています。
こうして振り返ってみると、親が先に持ちたかったのは、
子どもや教育へのアンテナだったのだと感じます。
まず大事だったのは、「その子を見る」こと

未就学児〜低学年のころ、わが家でいちばん大事にしていたのは、
「何をやらせるか」より先に、「この子はどんな子なのか」を見ることでした。
知育や家庭学習の情報を見ていると、早く始めたほうがいいこと、やっておいたほうがいいことはたくさん出てきます。
けれど、実際には、同じやり方がそのままどの子にも合うわけではないと感じてきました。
大切なのは、一般論をそのまま当てはめることではなく、我が子がどんなことに心を動かし、どんなときに伸びやすく、逆にどんな刺激が負担になりやすいのかを見ていくことだったと思います。
長女は、小さいころから興味の向くこととそうでないことがはっきりしていて、好きなことには驚くほど深く入っていける子でした。
そのぶん、合わない環境や刺激が多すぎる場面では、持っている力を出しにくいこともありました。
だからこそ、親が「これは合いそう」「これは負担になりそう」と見ながら、勉強も体験も調整していく必要がありました。

ちょっと、こだわりが強すぎたり、なんでこれができないの?と思うようなことが苦手だったりします。

次女は長女ほどはっきりした偏りは感じませんが、次女ならではの立ち回りのうまさや、甘えん坊なところ、わがままな部分があったりします。
姉とまったく同じ形が合うならラクなのかもしれないですが、発達過程が似ているようで全く違うな、というのが親の印象です。
なので、真似したがる時期は姉と同じようにしつつ、基本は次女の好きなことや手が伸びやすいことを見ながら整えてきました。

工作が好きなら端材を多めに置く、料理が好きならできるだけやらせる。そういうちょっとしたことでOK。
勉強の場所も、長女は別部屋でより集中しやすい形へ、次女はダイニング中心で自由に取り組める形へと少しずつ変えています。
振り返ってみて、親がまず持つべきなのは、子どもや教育へのアンテナなのだと私は思っています。
まわりと比べて焦ることより、この子は何を求めているのか、この子の良さはどこにあるのかを見ること。
その視点があってはじめて、ことばのかけ方も、本の選び方も、体験のさせ方も、その子に合う形になっていったように思います。

知性やことばは、日常の会話の中で育ててきた

わが家で勉強より先に大切にしてきたことのひとつが、日常の会話です。
あとから振り返ると、語彙や考える力は、ドリルだけで育ったというより、毎日のやりとりの中で少しずつ育っていった部分が大きかったように思います。
小さいころから、子ども相手だからといって、赤ちゃん言葉や極端に簡単な言い換えを多用することはあまりしませんでした。
もちろん年齢に合わせた伝え方はしますが、できるだけ大人と同じようなことばで話すことは意識してきました。
そういうことばを自然に耳に入れていくことが、ことばの土台になると感じていたからです。
たとえば、伝わればそれでいい、とはあまりせず、「ママ、お茶」ではなく「ママ、お茶ください」まで言えるように、少しずつ促してきました。
いきなり厳しく直すというより、言い直して見せたり、「お茶がどうしたの?」とやわらかく添えたりしながら、自然に一文で話せるように意識していました。

小学校受験のお教室でも、正しい言葉遣いを日常で取り入れるようにと指導されました。
そんなふうに会話を重ねていたこともあってか、親子で話していると「大人と会話しているみたいだね」と言っていただくこともありました。
実際、長女も次女も、語彙はわりと早い段階からよく育っていったように思います。
もうひとつ意識してきたのは、「なんで?」を大切にすることでした。
子どもが何かをしたとき、何かをしたいと言ったときには、「どうしてそうしたかったの?」「なんでそう思ったの?」と、気持ちや理由をことばにする方向へ促してきました。
逆に、子どもからの「なんで?」にも、できるだけきちんと向き合うようにしてきました。
知識のことなら、その場ですぐに答えて終わりにするのではなく、一緒に図鑑を見たり、本で調べたりして、「自分で知っていく」流れにつなげることも多かったです。

いちいち一緒に図鑑を見れない!と思いますよね。幼いうちに図鑑を調べるようにしていると、ひとりでに子どもが図鑑を取り出して読み出すので、最初が肝心です!
叱るときも同じで、ただ「だめ」と止めるのではなく、なぜそれをしてはいけないのかを伝えるようにしてきました。
小さい子にはまだ難しいかなと思う場面でも、言い方を調整しながら、理由を抜かさずに話すことは大事にしてきたつもりです。
姉妹げんかのときも、一方だけを悪者にするのではなく、「どっちにもよくないところがあったよね」と、お互いに考えられる形に持っていくようにしてきました。
もちろん、毎日のように起こるバトルに、丁寧に対応できているかというと、できないのが現実です。

でも、決めつけずに「ママは見てなかった」「喧嘩になった、てことは、どちらにも反省点があるんじゃないの?」と促すだけでもいいと思うのです。
こういう会話の積み重ねが、話す力や考える力、自分の気持ちをことばにする力につながっていったのではないかと思います。
園や小学校受験の場で、自分の言葉で答える力や、話を聞く姿勢を見ていただけたのも、特別な練習だけではなく、日々の会話の積み重ねがあったからかもしれません。
本・図鑑・体験をつないで、好奇心を深めてきた

わが家では、子どもが何かに興味を持ったとき、それをその場で終わらせないことを大切にしてきました。
「好きだね」「面白かったね」で終わるのではなく、本や図鑑、実際の体験につなげながら、少しずつ深めていくような関わり方を意識してきたと思います。
本はとにかく身近なものにしたくて、絵本も児童書も、いつでも手に取れるようにしてきました。
図書館でもたくさん借りて、本棚には常に20冊以上あるような状態が多かったです。
字が読めないころは表紙が見えるように置き、読めるようになってからも、活字を読むことが特別ではない空気を家の中に作りたかった気がします。
図鑑も、欲しいと言ったものはできるだけ用意してきました。
わが家では、図鑑はただ眺める本というより、体験とつなぐための道具でもありました。

たとえば動物園に行くときは、小さな図鑑を持っていって、本物を見ながら「これだ」と探したり、見比べたりしていました。
本で見たものが目の前にいる喜びもありますし、逆に本物を見たあとで図鑑を開くと、知識がすっと入っていく感じもありました
散歩の中でも「これは春だから咲いているね」「つばめは来ているかな」と、目に入ったものにことばを添えるようにしてきました。
少しでも気にかかっている分野があれば、絵本やテレビで知識を補い、さらに科学館や博物館、水族館へつなげることも多かったです。
次女が「イルカを触ってみたい」と言えば水族館へ行く、というように、興味の芽が出たときに、すぐにその先へ進めるようにしてきました。
そんなふうに、興味を持ったことを少しずつ深めていく中で、毎年開催されているミツバチの一枚画コンクールに出したこともありました。
そのときも、ただ絵を描くだけではなく、蜂のことを図鑑で調べたり、いちご狩りで実際に飛んでいる様子を見たり、動画に残してあとから見返したりしていました。
描くために調べる、見に行く、もう一度見返す、という流れも、わが家ではごく自然なことだったように思います。
こういう積み重ねがあったからか、子どもたちは「好き」で終わらず、そこからもう少し知りたがることが多いように思います。
好奇心は、生まれつきの性質だけではなく、深めていける環境があるかどうかでも変わるのかもしれません。
わが家では、本・図鑑・体験をつなぐことが、そのひとつの土台になっていたように感じています。
学ぶことを特別にせず、毎日の習慣にしてきた

わが家では、勉強や読書を「頑張る日だけやる特別なこと」にはしたくありませんでした。
できるだけ、毎日の流れの中に自然にあるものとして育てていきたいと思ってきました。
そのために大切にしてきたことのひとつは、机に向かう習慣です。
長女は2歳のころから、短い時間でも毎日、紙のプリントやドリルに触れるようにしていました。
といっても、最初から「お勉強」という感じではなく、シールが多かったり、ゲーム感覚で進められたりするものが中心で、小さい子でも遊びの延長のように取り入れやすいものでした。
こういう、シールを使ったものが抵抗感なくておすすめ。
シールは手先の器用さにもつながるので、一石二鳥です。
小さいうちは量をこなすことより、まず「座る」「やってみる」が自然にできることのほうが大切ですよね。

勉強を嫌なものにしたくなかったので、新しいドリルは「お楽しみ」のように扱ってきました。

頑張ったご褒美に、新しいドリル買ってあげるね!
と、ドリル=勉強、ではなくて、ドリル=楽しい学び、という風に認識させておくと後々ラクです。
わが家では、おもちゃは誕生日やクリスマスが中心ですが、そのほかのちょっとしたご褒美は本にすることが多かったです。
例えば、ピアノのコンクールを頑張ったときも本を選びましたし、娘がクリスマスに図鑑を欲しがることもありました。
そういうこともあって、学ぶことや読むことが、無理にやらされるものではなく、うれしいものとして自然に入っていった気がします。
わが家はかなり早い時期からドリル学習を取り入れていましたが、2歳からでないと遅いということではないと思っています。
習慣は、何歳からでも、その子に合う形で少しずつ作っていけるものです。
最初は、シールが多いものやページ数の少ない紙のドリルでもいいですし、フリーのプリントを数枚印刷してみるだけでも十分だと思います。
「ちょっとやってみようかな」と思える軽さで始めるくらいが、かえって続きやすいこともあります。
小学校に入ると、まだまだ紙ベースの宿題は多いので、紙に向かうことに慣れておくのはやはり土台になりやすいと感じています。
本を読むことも同じで、特別に「読書の時間」を設けるというより、日常の中に本がある状態を作ってきました。
読み聞かせをする、本棚に常に本がある、気になることがあれば図鑑を開く。
そういうことが積み重なって、活字を読むこと自体が自然なことになっていったように思います。
そして、毎日コツコツやることは、とにかく子どもの自信につながる、と常々感じています。
例えば娘の場合は、七田式プリントは受験対策の時期以外は3枚行い、小学生になってからも宿題、余力があればドリルや百マス計算を毎日やります。
ピアノの練習も毎日を基本にしてきました。
どれも完璧に、たくさん、ではなく、そのときの年齢や状態に合わせて続けられる形にしてきたつもりです。

そうすると、絶対に力がつくので、成果が目に見えて自信につながります。
小学校受験のころは、朝に勉強する流れも大事にしていました。
朝は頭も比較的すっきりしていて、落ち着いて取り組みやすかったからです。
いまは私立小で朝が早いため、勉強は帰宅後が中心ですが、その時期に合う形に変えながらも、「毎日少しずつやる」という考え方は変わっていません。
派手な先取りや、一気にたくさんやることより、毎日の小さな積み重ねのほうが、結果的には大きかったように思います。

伸ばすためには、与えすぎないことも大事だった

子どものためを思うと、つい「これもよさそう」「あれもやらせたほうがいいかも」と足したくなることは多いと思います。
私も教育に関心があるからこそ、与えることそのものは嫌いではありませんでした。
けれど、あとから振り返ると、伸ばすためには足すことと同じくらい、入れすぎないことも大事だったように思います。
特に意識していたのは、延々と続いてしまう刺激や、切り替えにくくなるものを日常に入れすぎないことでした。
長女は小さいころから、興味の向くことには深く入り込める一方で、刺激が強すぎたり情報が多すぎたりすると、気持ちや意識を切り替えにくくなることがありました。
だからこそ、「それしか考えられなくなる」「声が届かなくなる」「やめるとなると大きく崩れる」ようなものは、できるだけ避けるようにしてきました。
その中で、いちばん大きかったのはYouTubeです。
長女が3歳ごろまでは見せていた時期もありましたが、わが家ではあまりいい影響を感じられず、やめることにしました。
それ以来、娘二人とも基本的にはYouTubeは見せていません。
民放テレビやキャラクターものもかなり絞っていて、テレビは録画したものか、NHKの番組を中心にしています。

厳しすぎる、と思われるかもしれませんが、わが子にとっての最適解なだけなので、テレビも動画視聴もゲームも悪だとは思っていません。
わが家でこうした娯楽を優先しなかったのは、
小さい時期だからこそできる実体験や、親子の会話、本、手を動かす遊びに、限りある時間や集中力を使いたい気持ちのほうが強かったからです。
何を生活に入れるかを選ぶことは、同時に、何を今は入れないかを決めることでもありました。
子どもの睡眠時間を確保することを考えると、あれもこれもと取り入れるのは不可能でした。
キャラクターものに夢中になる時期があること自体は、自然なことだと思います。
でも、わが家では、それが一時的な関心で終わるよりも、もう少し先につながる好奇心や体験を優先したい気持ちがありました。
だからこそ、子どもたちが興味を持ちそうな特集番組は録画しておいたり、意味があると感じるデジタル教材は取り入れたりしながら、「ただ減らす」のではなく、「選ぶ」意識で整えてきたつもりです。
教育は、何かを増やせば増やすほどいいというものではないのだと思います。
我が子にとって、何が栄養になって、何が負担になるのか。
それを見ながら、入れるものと入れないものを選んでいくことも、家庭でできる大事な関わりのひとつでした。
好奇心を伸ばしたいからこそ、刺激を増やしすぎない。
そのバランスを取ることも、わが家では大事にしてきたことのひとつです。

まとめ|必要なのは子どもや教育へのアンテナ

未就学児〜低学年のころ、わが家で勉強より先に大切にしてきたことを、少し長めにまとめてみました。
この子は何に心を動かすのか、どんなときに伸びやすいのか、何が負担になりやすいのか。
こうしたことって、親御さんならきっと敏感に気づいていると思います。
それを、家庭学習にどうつなげていくか、が難しいと感じるところなのかもしれません。
嬉しいことに、SNSや実生活を通して、本当に多くの方から「どうしたらそんな風に育つの?」とお声がけいただくので、今回改めて振り返ってみました。
いろいろと考えてみて、二人の姉妹を小学校受験させつつ、家庭での学びに力を入れてきた私には、「子どもや教育へのアンテナ」という言葉がしっくりきました。
もちろん、どの子にも同じやり方がそのまま合うわけではないと思います。
でも、先取りや詰め込みの前に、家庭の中でできることは意外とたくさんあります。
大人と同じようなことばで話すこと、本を手に取りやすくしておくこと、興味を体験につなげること、毎日の小さな習慣を作ること、与える刺激を選ぶこと。
そういうことは、今日からでも少しずつ始められることなので、もしかしたら参考になるかもな、と思っています。
わが子に合う方法を見つけたい、子どもの良さを伸ばしたい、でも何を大事にすればいいのか迷う。
そんなときは、まず「この子は何を求めているのだろう」と立ち止まってみることからでもいいのかもしれません。
わが家では、そこから少しずつ、今の形ができていきました。
だからこそ私は、未就学児〜低学年の時期にいちばん大事なのは、何をどれだけやらせるかより、わが子をよく見て、その子に合う関わり方を選べることだと思っています。
先取りや詰め込みをしなくても、家庭の中で育てられる力はたくさんあります。
うまくできない日があっても、すぐに答えが見つからなくても大丈夫です。
焦って何かを足す前に、まずは今の我が子をよく見ること。
それが、遠回りに見えて、いちばん確かな土台になるのかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも、参考になったら嬉しいです。

